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「心が亡い」と書いて忙しいと読む。
 ネルフのスタッフは、忙しかった。
 冗談でなく、かなりマジで忙しい。
 例えば、技術局である。
 武装要塞都市第三新東京市は未だに建造途中だと言うのに、使徒が来襲するたびに兵装ビルと各種施設は損壊する。しかも、考えても見なかった使徒の残骸の回収には思わぬ手間と予算がかかって、壊れた零号機の整備は連日連夜にわたっている。その上、新装備の研究開発が作戦部から要求されてこれに応えなければならなくて、さらにマギの保守点検がある。挙げ句の果てに、ドイツから送られた弐号機は、届いた時には壊れてて、これまた整備が必要…。このように猫の手も借りたいほどだと言うのに技術者のかなりの人数が引き抜かれて、各支部との技術交流やら『人類補完計画』とか言う妖しげなものに従事させられている。
 はっきし言って『労働基準法』…なにそれ?の世界である。
「ふぅ……」
 伊吹マヤ二尉は、大きなため息をついた。
 勤務を始めて38時間目までは記憶している。だが、今ではめんどくさくて数えるのもやめてしまった。
 エヴァ零号機、初号機の整備状況を報告書にまとめ、部品の発注伝票を書かなくてはならない。しかも、5時間以内に深海などの特殊環境用装備についてのアイデアを稟議書にして提出することになっているし、次のシンクロテスト時の試験項目を整理も待っている。その上ダミープラグの開発が、せっつかれてて、マギの定期点検も近づいてて、部内会議の資料作成もあって、あれもこれも、どれもこれも、みんなみーんな、やらなければならない…。
「うっふふふふふふふふっ」
 思わず、笑ってしまう。
 少しロリの入った可愛い女性が、目の下にクマをつくって精神に失調を来したかと疑われそうな空笑いをしている姿というのは、なんとも奇妙な光景で、はっきり言って気味が悪い。が、しかしここジオフロントでは、それがよく見られる、ごく日常の光景なのである。
「おーっほっほっほっほっほー」
 ケイジの片隅で、また一人。
 オレンジのつなぎ服を着た洞木コダマが、腰に手を当てて高笑いしている。
 おそらく徹夜が長期に渡ったことにより発症したナチュラルハイであろう。容姿がそれなりに整っていて、男だらけの職場にいると言うにも関わらず、浮いた話がひとつもないというのも、こうした極限状態における人間性の本質が暴露されてしまうからかもしれない。
 
 
 さて、アスカである。
 13才にして大学を卒業した彼女は、こんな状況下におけるネルフにおいては『猫の手』以上の存在価値がある。ましてや「中学校なんてくだらない。行かない」と公言していたから、暇であることは皆に知られていた。
 本人としては、戦闘待機のつもりで本部をうろついていたのだろうが、それこそ飢えた狼の群に飛び込んだ『鍋とソースを背負った羊』、あるいは猟師の目前を飛ぶ『ネギを背負った鴨』であった。
「あ、アスカ。ちょうどよかったわ」
 まずは、リツコに捕まってしまう。
 薄汚れた白衣をまとったリツコが、アスカに書類を手渡した。
 白衣にはコーヒーの染みや、たばこの灰などが付着していて、脱色金髪も手を入れている暇がないのが、付け根に黒髪の部分がのびている。はっきり言ってだらしない。しかし、それでいて元々の魅力を損なわないのだから不思議だ。
 はい、これ。と、手渡されて思わず手にした書類を見て、アスカは眉を寄せた。
「なによ、これ」
「見てのとおり、弐号機の整備チェックシートよ」
「そんなの、見れば判るわよ」
「さすがは大卒ね。飲み込みが早くて助かるわ。改修箇所の報告は10時まで。総合報告書は今日の12時までに提出してね」
 リツコはそれだけを告げると、きびすをかえした。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。なんであたしが…」
 追いすがるアスカに、改めてリツコの気怠そうな視線が向けられる。
「弐号機は、あなたが乗る機体でしょ。戦闘機のパイロットだって、愛機の整備確認は自分でするわよ」
 なまじブライドが高くて、チルドレンとしてのプロ意識を持とうとしているところをつけこまれた。他のパイロットがどうしているか知らないのも、災いしてしまう。
「じゃ、よろしくね」
「わっ、わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば」
 アスカは不承不承、ケイジへと向かうのであった。
 
「腹部、装甲外皮の交換…チェック。チャンバーの部品交換…チェック。ああーっ!ここの塗装面、色指定と違うぅぅぅぅ。やり直しよっ、やり直し指示っと…」
 不平不満は言っていても、やるとなれば手を抜かないのは、アスカの良いところだろう。
 第六使徒との戦闘で、使徒に食いつかれた弐号機の腹部あたりの整備状況を丁寧に確認していく。
 そんなアスカの背後に忍び寄る一つの影があった。
「ねぇ、アスカちゃん?」
 マヤであった。
「伊吹二尉?」
「あの、ちょっと、ここ見てくれないかな?」
 マヤが差しだしたのは、弐号機の整備マニュアルだった。ドイツ支部でまとめたものだから全部ドイツ語で書かれている。
「伊吹二尉…ドイツ語、読めるんじゃなかったの?」
 マヤは他に、英語、フランス語とアラビア語、中国語を流ちょうに操る。
「ちょっと、ど忘れしちゃって…ここのところの技術用語って…」
 アスカはちらっと見ると、マニュアルと手に取り、そこに書かれたいくつかの単語の日本語訳を説明して、ついでにエヴァ弐号機で用いられてる特殊な技術についての説明をいくつか語った。
「それ…要約してといてくれると助かるんだけど?」
 すでにマニュアルはアスカの手にある。マヤは少しずつだが、確実に後ずさりして距離をとっていた。
「いやよ。何であたしが」
「お願い。それがないと…シンクロテストの準備が進まないのよ」
「ドイツからの技術関係は、ナオコの仕事でしょ」
「赤木ナオコ博士は、碇司令と会議に出かけてて留守なの」
「他に誰か居ないの?」
「みんな、忙しくって…」
「忙しくても、仕事でしょ。それで給料を貰ってるんだから、自分たちでなんとかするべきよ」
「そうなのよね。お仕事なのよ。うん、お仕事のはずだったわ。くすくすく。だけど今はお仕事が恋人なのよ……朝も一緒、お昼も一緒、夜も一緒、夜明けのコーヒーもお仕事と一緒なの…うふふふふ。布団が恋しい。ご飯食べたのいつだったかなぁ…ポロポロうるうるうーるるる」
 微笑んだり、涙を流したりと…あっちの世界へと旅立ってしまったマヤに、アスカは冷や水を浴びせられたような気分だった。見れば、ケイジの片隅で、高笑いしている整備士がいる。
 こんなヤツらが整備した機体に、あたしは乗ってるのかい?
 弐号機の整備状況だけは、自分でチェックする決意を固めるアスカだった。
 
 
 
 
 
               新世紀エヴァンゲリオン ファンフィクション小説
 
                       「運命の転輪」   たくさん作
 
                            −第19回−
 
 
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「あら、アスカ?」
「あ、ミサト。机を借りているわよ」
 ミサトの執務室に、書類の束と格闘するアスカの姿があった。
「別にいいけど…なにしてるの?」
 アスカが、書類を読んで注釈を加え、必要なら付箋をつけて、ポンとハンコを押して処理済みの箱へと投げ込む。
「何って、仕事よ、仕事。見ればわかるでしょ?」
「仕事…?」
「そっ」
「なになに…要塞都市武装強化計画。その装備仕様、及び予算…ゲッ」
 ミサトは、アスカの処理した書類を手にした思わず唸ってしまった。
 これは本来、ミサトが処理するべき書類だったからである。だが、仕事…特に書類仕事にずぼらなミサトは、書類をため込んでいた。それが、アスカの手によって見事なほどに処理されてしまっている。ちなみに導入予定の日本製の兵器が、軒並みドイツ製に変更されていることにはミサトは気づいていない。
「あー、それは日向二尉に頼まれたのよ。こっちは伊吹二尉」と、ばさっと書類を振り上げる。「んで、それは、青葉二尉からで、こいつは赤木リツコ博士…」
 驚くことに、ありとあらゆるセクションの書類がアスカの元に集められていた。もちろんアスカが見ても差し障りのないような守秘レベルの低い書類ばかりではあるが…。
「ねぇ、ミサトぉ。どうしてこんな事のでチルドレンがしなきゃなんないの?」
「ど、どうしてって…」
「これがチルドレンの仕事だなんて聞いてなかったわよ」
 この言葉でミサトは合点がいった。
 我が儘なアスカが、どうしてこんな仕事をしているかと思ったら…誰かが「これもチルドレンの仕事だ」と言ったに違いない。
「ねぇ、ミサトっ!ファーストや、サードの二人はどこよっ!」
 ミサトは背筋が凍るような思いをしていた。
 いったい誰よ〜こんな底の浅い、すぐにばれるような嘘をついたのわ〜。ホントのことが知れたらどんなことになるか……。などと思いつつも、誤魔化しを展開してしまう。
「ああ、ホら、あの二人は学校じゃないかなぁ」
「学校?なによ〜それ〜」
「だって、シンちゃんもレイも、中学生だもの」
「情けないわねぇ。義務教育程度の勉強なんて、さっさと済ませてしまえばいいのに」
「誰もが、アスカみたいに出来る訳じゃないのよ」
 ミサトの言葉にアスカはムッと眉を寄せた。口には出さないが、自分は誰よりも努力をしたと言う自負があるからだ。だから、チルドレンたる者は、みな自分並の努力をする義務があると思っている。
「それにしたって、あたしだけがこうして苦労してるなんて公平性に欠けるわよっ」
「だったら、アスカも学校に通えばいいのに」
「何言ってるのよ!使徒はいつ、どこに現れるかわからないのよ。ファーストとサードも学校が終わったら、ここで警戒待機よ」
「来たばっかりで張り切る気持ちはわかるけど、そんなふうに四六時中神経を張りつめてたら、疲れちゃうわよ。発令所でだってちゃんと交替で警戒してるし、市内だったらどこからでも二〇分以内にここに来れるようになってるから…心配はないわよ。それに二人とも、今日はお稽古だから来ないわよ」
「お、お稽古ぉ?」
「そう。毎週火曜日と金曜日の夕方。レイはフラメンコで、シンちゃんは合気道なの」
 
 
 
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「それでは良いですか、ナーイドゥ! ウノ、ドゥス、トレス、クワトロ、シンク、セェス…(1、2、3、4、5、6…)」
 第三新東京市の一角。
 小さなビルの中に、そのダンススクールはあった。
 リズミカルで小気味よい手拍子に合わせて、タンタタタタンとステップを踏む音が廊下に響く。
 窓の向こう側ではインストラクターの指導で、レオタードにスカートを腰に巻いた姿の娘達が、激しく踵を踏みならしていた。その列の中には、レイの姿もある。白いレオタードに、くるぶしまでのブルーのスカートをまいている。両腕を翼のように大きく広げつつ、胸を反らし、手首指先は艶めかしくも美しい螺旋の軌跡を描いて、頭上へと掲げあげられていく。
 その激しいまでの迫力には「所詮は、お稽古」と、どこか馬鹿にしていたアスカですらも、息を飲んだほどだ。
「プランター・ダコン、プランター・ダコン、ゴルテ、ゴルテ……いいですね。では、通して踊ってみましょう」
 インストラクターの合図で、音楽が流される。
 フラメコンギターの軽快な調べに、ハスキーな歌声が続く。
 ポーズを決めて構えていた練習生達は、曲と共に舞い始めた。
「ふーん…」
 唸ったままで、評価は保留してみせるアスカ。
 思わず度肝を抜かれてしまったのが悔しくて、素直に「いい」と言えないのである。
 ミサトはそんなアスカに「興味はあるようね」と思って水を傾けてみることにした。
「どう?アスカ。練習に参加してみる?」
 アスカの目前で、レイがスカートをひるがえして華麗にステップを踏んだ。
 早鐘のように打ち続ける心臓の鼓動。そのリズムに合わせたかのような、サパデアード(靴音)。
 舞い、踊り、床を踏み打つ。表情こそ乏しいが、その全身からは喜怒哀楽が激しいばかりに迸っていた。
 そして、ラスト。
 ポーズが決まり、動から静へと一瞬のうちに転化する。
 惜しみなく拍手するミサトに、レイは一瞬視線を向けたが、すぐにインストラクターの説明に気持ちを切り替えた。
 アスカは始終無言だった。
 練習が終わると、解散して練習生達はめいめいに別れ散る。
 レイは、ミサトとアスカの元へ。
「上達したんじゃない、レイ」
「もう、半年ですから」
 練習を始めて半年になるから上達しても当たり前。誉めるには及ばないとレイは謙遜しているのである。
「それにしてもよ。今日はね、アスカを見学に連れて来たの。アスカもレイが凄く上手だからびっくりしたみたいよん」
「…そう」
 レイは、アスカにちらりと視線を向けるだけで、言葉もかけようとせず視線を逸らした。それは額の汗をタオルで拭うためだったが、アスカになんとなく無視されたかのような印象を与えた。ちょっとムッとしたアスカはレイに向かう。
「ファーストチルドレン……踊ってて楽しい?」
「楽しい?………わからない」
「わからないって言う割には、熱心に踊ってたじゃない?」
「そ?……わからない」
 のれんに腕押し、糠に釘…そんな言葉が日本語にあるが、レイを相手にしているそんな気分になる。空回りの徒労感に、アスカはため息をついた。
 その時である。
『pppppppppppppppp……』
 ミサトの携帯が鳴った。
「なに?…ん?」
 すぐにアスカの携帯も鳴る。
 液晶フルカラーの画面に使徒の襲来が告げられていた。
 
 
 
 

 
 
「これのどこがLRSなんだぁ」、と書いている本人も思ったりします。でもアスカも重要な役どころなので、あと数話はこの調子で行くと思います。ご勘弁下さい。

たくさんのSSのご意見ご感想はこちらまで >> たくさん掲示板

 

Shinkyoの感想でございます

運命の転輪、最近更新スピードがあがってますねぇ。

非常にうれしい限りです。

しかし、レイがフラメンコ(^-^; シンジの合気道よりも想像しにくいですな。

アスカもレイと一緒にフラメンコをはじめるのでしょうか?

これからの三人の関係が気になるところです。

まぁ、私の一番気になることは、ゲンドウとアスカの関係なんですけどね(爆)


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