45
 
 
 未だ工事中の司令室。
 コンクむき出しの、だだっ広い空間の中央に重厚なデスクがひとつ。だが、司令室のあまりの広大さに、その大きさを感じとることは出来ない。
 その席に座るの司令、碇ゲンドウ。
 傍らに屹立するのは副司令、冬月である。
 二人の正面に、制服の男が一歩進み出て折り目正しく指をそろえて敬礼した。
「申告いたします。加持リョウジ一等尉は、特殊監察部勤務を命ぜられ、本日一四〇〇(ヒトヨンマルマル)時、着任いたしました」
 続いて少女が、一歩踏み出す。軍属ではないので敬礼はしない。姿勢を正してブルーの瞳を鋭く光らせて胸を張る。
「同じくセカンド・チルドレン、惣流・アスカ・ラングレーは、ネルフ本部勤務を命ぜられ着任いたしました」
 さらに妖艶な美女が、唐紅のルージュに艶めいた唇を開く。
「復命いたします。技術局付参事、赤木ナオコは全ての任務を終了し、本日無事帰還いたしました」
 着任式。
 ネルフが、軍事組織の形態をとっている以上、人事の異動、それに伴う指揮権の継承はこのような儀式めいた形でなされる。ものを知らない人間は、時代錯誤と揶揄するが、今、この瞬間からこの人間を上司として、指揮を受けることになるのだとはっきり認識する作業として重要である。
「うむ。加持君、アスカ君、遠路はるばるよく来てくれた。ナオコ君は、長い期間の出向ご苦労だったね」
 冬月が相好を崩して三人をねぎらった。
 最初は、テーブルに両肘をついて、顔の前で手を組むというおなじみのポーズで三人を迎えたゲンドウも「ああ、よく来てくれた」と姿勢を正して歓迎の意を態度でしめす。
「エヴァ弐号機も届いたことだし、本来ならここで歓迎の式典でも開いて出迎えるべきだと思うのだが、状況が状況なものでね、今は派手なことをしている余裕がない。なにしろ司令室ですらこの有様だからね」
 冬月は工事中のロープが張られている、室内の一角を見渡した。ペンキ缶や、配線ケーブルが無造作に置かれている。
 加持が肩を竦めて見せた。
「いやいや、歓迎の式典なら派手なのがありましたよ」
 厳粛さのかけらもないおちゃらけた態度である。だが彼に関しては不思議と許容されてしまう。人徳と言うべきか。
「第六使徒との遭遇戦については、すでに報告が来ている。活躍したそうだね」
 アスカは誇らしげに「あの程度の使徒なら大したことではありません」と応じた。
 この戦いで国連軍太平洋艦隊は、戦艦2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦7隻を、輸送船1隻を失うという壊滅的な損害を出している。人員の被害は、確認されているだけでも200を超えた。エヴァとても一度は使徒に食いつかれて海中に引き込まれている。その戦いを、たいしたことがなかったと豪語してしまうところは、いかにもアスカと言える。ゲンドウは、そんなアスカに視線を注いでいた。
 力強く、溌剌と輝くアスカ。その姿は、ゲンドウにとって懐かしく眩しかった。今にも『この、バカシンジィ!あんたそんなところで何してんのよっ!…はぁん、しばらく見ないウチに、ずいぶんと老けたわねぇ』と、怒鳴る姿が思い浮かんでしまう。それが願望を含んだ、感傷でしかないことは自分でもわかって、つい「ふっ」と自嘲のニヤリ笑みを浮かべてしまった。
 この瞬間、司令室の体感温度が、確実に十度は下がった。
 ビクッ!
 アスカはこれまでに経験したことのない冷気に慄然とした。
「このプレッシャー、さすがに総司令ね。ただ者じゃないわ」
 強大な存在を前にして、アスカの反骨精神がかき立てられる。体中の闘志をかき集めるとゲンドウを挑むように睨んだ。それは炎を身にまとったかのような気迫だったが、冥府の魔王に対峙するにはいささか力不足だったようである。
「…………ニヤリ」
「……………クッ」
 アスカは、負けを認め自ら視線を逸らした。
 
 
 
               新世紀エヴァンゲリオン ファンフィクション小説
 
                       「運命の転輪」   たくさん作
 
                            −第18回−
 
 
46
 
 赤木リツコは、スススとコーヒーをすすりながら、エヴァ弐号機の太平洋上における戦闘報告書に目を通していた。
 ファースト、セカンド両チルドレンによる、タンデムシンクロと、B装備による海中戦の資料は、これからの研究に貴重な材料となるはずだった。
 デスクに置いたカップに口紅の痕。
 吸い殻が山盛りとなった灰皿。
 そして数個の猫の置物。
 物を置くのに困っても、こうしたマスコットの類を置く場所を確保するところに、合理性や機能性一辺倒のリツコとは、また違う別の一面が感じ取れる。
 背後からの突然の抱擁に、一瞬驚いたリツコだったが、その回転の速い頭脳は、誰の悪戯であるかを直ちにはじき出した。
「加持君…」
「相変わらず、仕事の虫かい?」
 リツコもその感触に浸るように、身を預ける。
 愛する相手とは違う。だが、和める男というのはいるもので温もりが気持ちよかったのだ。そんなリツコの反応から、加持は「悲しい恋をしてるね」と看破する。しかるべき相手から、ちゃんと温もりを与えられていれば、自分なんかの体温に浸ろうとしたりしないだろうから。
「どうして?」
「涙の道筋にほくろのある女性は、一生泣き続ける運命にあるからさ」
 撫でる指は半分本気だ。
 リツコが、誘いに乗ってくればベットへ行ってもいいかなと思っている。
 反応も、悪くない。だが…突然、リツコの体が固くなった。
「やめておいた方がいいわよ。こわーい、お姉さん達が、見ているから」
「おっと」と、顔を上げてみる。
 窓の向こうからミサトの白眼視線と、赤木ナオコの「面白いものを見た」視線が注がれていた。
「加持ぃ。あんた何やってるのよ。用が済んだら早く帰りなさいよ」
 ずかずかと赤木リツコの執務室に踏み込んでくるミサトとナオコ。
「いや、辞令が出てね。俺も本部に居続けさ。これからまた三人で連めるなあ…」
「あら、リョウちゃん。私は?」
 赤木ナオコが、加持に迫る。すると加持は、「あ、いや、その」と一歩二歩後ずさって「よ,四人で連めますね」と訂正した。
「嬉しいわ。早速今夜でも、どう?」
「なによ、母さん。帰ってきて早々…」
「リッちゃん、人生はね、楽しんでこそ意味があるのよ。私もあなたぐらいの時、仕事と男のことしか考えられなかった。今思えば、ホントにもったいないことをしたと思ってるのよ」
「さすがに今夜ばかりは、しなければならないことがありまして」
 加持が、恐る恐る断りの言葉を綴った。
 外見は、30を超えるかどうかのナオコだが、実はオン歳5*才である。この若さを維持するために、悪魔と契約を結んだとか、若い男の生き血をすするとか。そして、ベットを共にしたら最後、20才の若い男でも、翌朝には老人のように痩せ細って、白髪になってしまうと噂されている。
 実際のところは、彼女の若さとは生命科学の成果であり、魔女だの悪魔だの、オカルトめたいこととは関係がない。しかし、加持が恐れるほどの『男喰い』であることも確からしく、事情通には鬼門的存在なのである。
「なによ、断るつもりなの?」
「いや、アスカの住むところとかいろいろとありまして。そう言えばアスカのヤツ、どこへいったんだろうなぁ。ここ広いから、迷ってなければいいなぁ。ちょっと俺、探しに行ってきますよ」
 加持のあからさまな逃げ腰に、ナオコは目を細めた。それはあたかも「獲物を狙う猫のようであった」と後のミサトは述懐している。
「あらぁ?アスカちゃんなら、ゲンドーちゃんが話があるって引き留めてたわよ」
「し、司令が?」
「そうよ…うふふふふふ」
 獲物を前に舌なめずり。
 加持の背筋に、ゾゾゾと悪寒が走った。
 
 
47
 
 
 アスカは司令室で、居心地の悪い時間を過ごしていた。
「話がある。残りたまえ」と言われて、「はい」と居残ったはいいのだが、何の話もないのである。互いに、口を開くこともなく数分間の時間が過ぎていった。
 ゲンドウもゲンドウで困っていた。
 話をしたくて、とにかく話をしたくて呼び止めたのはいいが、何を話したものかわからないのである。
『あのアスカ』と、『このアスカ』が、異なる存在であることは確かだ。ゲンドウにとっての『アスカ』は、もういない。だが、ここに『あのアスカ』と同じ容姿をもち、同じ産まれ方、育ち方をして来た少女がいる。おそらくこの娘も『あのアスカ』と同じ苦しみを抱いているに違いない。ならば『このアスカ』も救いたい。それが、かつてシンジであった、ゲンドウの願いである。
 ゲンドウは、居心地悪そうにしているアスカに気づいた。
 しまった、考え事をしていて、ほったらかしだ。
 今更ながら気づいて、急いで腰を上げる。それがあまりにも勢いづいていたために、椅子が倒れて大きな音を立てる。驚いたアスカは、ビクッと身を震わせた。
「あ、すまん」
 アスカを安心させようと、声をかける。
 眼鏡を中指で押し上げて、椅子を戻すと、壁際のワゴンへと向かった。
 ポットとカップ、ネルフィルター…コーヒーと紅茶がいつでも淹れられるようにと用意されていた。
 ゲンドウは、手慣れた手つきで作業を始めた。
 
 煎りたての豆。
 入れる前に挽いて、ネルフィルターで良く蒸らして、ゆっくり手で落とす。
 
 これだけのことだが、インスタントとは違う味わいを出すことが出来る。
 そして、これは何度も罵声を受けながら憶えた、アスカ好みの味だった。
 アスカに手渡して問う。
「コーヒーでよかったかね?」
『そう言うことは淹れる前に、聞きなさいよ!』
 このアスカは、何も言わない。だが、『あのアスカ』ならば、自分に向けてこう言っただろうと思う。それでいて、「じゃあどっちにする?」と問えば、『どっちでも良い』と答え、「淹れなおそうか?」と問えば、『いいわよ、別に』と不機嫌そうな顔で飲むのだ。
 さて、このアスカはどうだろう。
 アスカは、口元でカップを傾けた。
 表情が、一瞬輝く。
 アスカは、さらにカップを深く傾ける。
 うん。気に入って貰えたようだ。
 ゲンドウは、ニヤリと笑みを浮かべると、席に戻った。
「さて、アスカ君」
 日本で出会えるとは思っても見なかった味に「もう一杯、飲みたいな」と思いつつも、まさか司令に向かって「お代わり下さい」とは言い出せずに、カップをもてあそんでいたアスカは「はい」と背筋を伸ばした。
「これから、君にはここで戦って貰うことになるのだが…何か要望はあるかね」
「はい…えっと」アスカは数秒間考えて、要望を聞いて貰えるならばと、「学校のことですが」と切り出した。
「あたしは、もう大学を出ています。改めて中学校に通う必要はないと思います。その時間を訓練に使った方が…」
「そうか」
 ゲンドウは肯いた。
「通う必要がないと考えるなら、それもいいだろう」
 自分の意見が受け入れられたことにアスカは笑みを浮かべた。
 ゲンドウは、言葉を続ける。
「君が、セカンドチルドレンとして、使徒と戦う。それは、人類の存亡を賭けた戦いだから、全てを犠牲にしても惜しくない。そう考えてくれることは嬉しいと思う。だが、君の人生が、それだけだとしたら悲しいことだ。なあ、アスカ君。君は将来何になりたい?」
 ゲンドウの問いに、アスカは戸惑った。考えても見なかったことだからだ。
「将来?」
「そうだ、将来だ」
 アスカにとって、これまでチルドレンであり続けることが人生であり、価値だった。
 そしてそれはすでに到達していることであり、もし望むとすればチルドレンとしてトップを目指すことだけだった。少なくともドイツ支部では、そう教えられてきた。なのにネルフのトップともあろう男が、別のことを言う。
 アスカは「考えてみたこともなかった」とは言えず、黙り込んだ。
 ゲンドウも考えさせたかっただけなので、急ぐつもりはなかった。
「君たちは、勝ち続ける。負ければ全てがおしまいだから、当然だな。そしてやがて、全ての使徒を倒せば、この戦いは終わる。そうなれば、我々ネルフは、用をなさなくなるだろう。私も失業する。先のことも考えて置かなくてはな…」
「…はぁ」
「将来のことを考えるのに、学校は有効だと思っている。気の合う友達も出来るだろう」
 例えば、洞木ヒカリとか…。
「どちらにしても、通うかどうかの決断は、君に任せる。いいと思うとおりにしたまえ」
「はぁ…」
 歯切れの悪い返事に、アスカの心境が現れているようだった。
 ゲンドウは、苦笑した。
 まぁいい。
「これで話は終わりだ。呼び止めて済まなかった」
「あ、いいえ」
 アスカは、あたふたと椅子から腰を上げた。
 そんなアスカを見て、ゲンドウは悪戯を思いついた。
「そうだ。もう、一杯。飲むかね」
 空となったコーヒーカップを、指さす。
 葛藤するアスカ。
 遠慮すべきが、欲望に従うべきか。好意は受け入れるべきだと思いつつも、でもやっぱり、しかし…と考えて、慎ましやかに、おずおずと「……いただきます」と今あげたばかりの腰を下ろした。
 
 

 
 いやぁ、久しぶりの『運命の転輪』です。
 いかがでしょうか?
 えっ、LAGの気配?
 あはははは(汗)。ナオコとリツコだけで手一杯のはずなのに。…どうしましょ。
 
 たくさん

たくさんのSSのご意見ご感想はこちらまで >> たくさん掲示板


Shinkyoの感想でございます

>「…………ニヤリ」
>「……………クッ」
>アスカは、負けを認め自ら視線を逸らした。

思わず笑っちゃいました。しかし、ゲンドウも対応に困るところですな。

後半のゲンドウとアスカのコーヒーを飲みながらの談笑?も微笑ましくてGoo。

アスカもなんだが可愛らしく見えます。ゲンドウの前だからかなぁ。シンジの前だとやっぱり・・・。

ゲンドウがアスカの良き理解者になってくれるといいですなぁ。

LAG望むところです。で、シンジはレイと・・・・(*^.^*)エヘッ

しかし、『運命の転輪』は数ある逆行物の中でも珠玉の名作ですな。

うんうん、たくさんってば本当に読ませる作品を書きます。早く次話が読みたいですね。


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