22
 
 コッ、コッ、と松葉杖をつきながら廊下を歩む。
 ジオフロントでも、そこはうち捨てられたような区画。
 コンクリートの灰色の壁。むき出しのダクトと配線。工事現場のような、おざなりな照明の薄暗さに、レイは嫌悪感を抱いた。
 やがて一つの扉の前に、たどり着く。
 鉄の扉。その両脇には完全武装で身を固めた保安部員が立哨していた。
 レイは、制服スカートのポケットから、書類を取り出してその一人に突きつける。
 書類には『釈放許可証』とあった。
 許可要件には刑期満了と記入され、作戦本部長の署名と捺印がある。
 保安部員は、書類を検分すると鍵束を取り出し扉を開いた。
 キィと蝶番のこすれ合う金属音。
 暗い室内。射し込んだ光に人影がうっすらと浮きあがった。
「迎えに来たわ」
 その声に顔を上げるシンジ。まぶしそうに眉を寄せた。
「もう、三日たったの?」
「そうよ。出て」
 よっこらせと腰を上げるシンジ。手錠を保安部員がはずしてくれた。
 解放された手首をこすってから、固まった体をほぐすようにのびをする。
 あまり、すがすがしいとは言えない気分だった。
 
               新世紀エヴァンゲリオン ファンフィクション小説
 
                       「運命の転輪」   たくさん作
 
                            −第10回−
 
23
 
 そこは今や住む者の居ない、ゴーストタウンのような団地。
 そのなかの一つに、綾波レイの部屋はある。
「なんだよ、ここ?こんなところに住んでるの?」
 初めてみるレイの部屋に、シンジは心が底冷えするような寂しさを感じた。
 シンジがいた独房と、あまり印象がかわらない。ひび割れたコンクリート。今にも崩れそうな階段。さびたドア。ほこりの積もった床。そして玄関のたたきに散らばるダイレクトメール。
「憶えてないの?」
 シンジは、首を振った。
「ここは、碇司令とお義母さまが住んでいたところ。だから手放したくなかったそうよ」
「父さんが?」
「そ。お兄ちゃんも、ここで暮らしたことがあるはず」
「生まれたばかりの頃だろ?憶えてないよ…でも、そうかここなのか」
 シンジは改めて室内を見渡した。懐かしい物をみるような眼に変わっている。
「でも、何もないや」
「お兄ちゃんが、こっちに来るまでのつもりだったから」
 言い訳のように、頬を染めるレイ。荷物の少なさを揶揄されたように感じたようだ。仮住まいのつもりだったから、掃除も適当…と言うより、全くしていない。
「また、一緒に住めるわ」
「ミサトさんのところか…」
 シンジは、嘆息すると言った。
「ミサトさんのところへは戻りたくないんだ」
 シンジとて、ミサトの立場は理解できている。
 冷静に考えてみれば、二人の為に、人類全体を危機に追いやることなどできやしないのだ。だが、頭でわかったとしてもそれを受け入れられるとは限らない。ましてや『巻き込んで』にしろ、直接彼らを手にかけることになるのは誰でもない、シンジなのだから。
 そこまで考えて、はたと気づいた。
「そっか…それでか」
 ミサトが、戦闘の邪魔になる民間人に向けミサイルを発射しようとしたのは、シンジに手を汚させないためだったのだ。あのまま、防戦一方になっていてもいずれ、二人を巻き込んでしまったかもしれないのだから。
 愛するものの為に鬼になれることもまた、優しさと言えるのだが、シンジもそこまではわからない。わからないなりに理解しようとはしているのだが…。それに、そこまで気づいたとしても、ミサトに感じてしまった恐怖感は拭いきれなかった。こわいという気持ちがどうしても先に立ってしまう。それでいったいどんな顔で接しろと言うのか。
 ひとたび感じてしまった感情を隠して、家族ごっこのが出来るほど、シンジも大人ではないのである。
「なら、私も移るのをやめる。ここで一緒に棲みましょう」
 レイはシンジの心を許すように微笑み、その腕をとった。
 
 
24
 
「ダメよ」
 シンジが、荷物をとりにマンションに戻ると、すでにミサトは帰っていた。それでここを出てレイのところで暮らす旨を告げたことへの返事がこれである。
「それは、上司としての命令ですか?」
「違うわ、家族としての言葉よ」
「なら、従う必要はありませんよね」
 シンジは、ミサトに顔も向けずに荷造りを始めた。
「なんでよ?」
「ミサトさんとはもう暮らせませんから」
 シンジは自分の物言いが冷たい口調になってしまうのに気づいた。心を堅くしないとミサトと冷静に話すことも難しいようだ。
「どうしてよ?」
 ミサトが詰め寄る。
 シンジは、ここではじめてミサトへと顔を向けた。
 意外にもミサトの表情は怒りではなくて、困惑と苦渋に悲しみが含まれたものだった。
「だって、僕に死ねって命令するかもしれないんでしょ?」
 ミサトの表情に、苦渋と悲しみの割合が増える。
「そ、それは、パイロットとしての話でしょう。普段の生活には、関係ないじゃない」
「ミサトさんは器用なんですね。僕は、そんな風には割り切れませんよ」
 困惑のミサト。
 シンジは荷造りを再開しようとした。すると…
「シンジ君、やめなさい」
「嫌です」
「やめろって言ってるのよっ!」と、シンジの荷物をミサトは奪い取った。
「何するんですか?」
 奪い返そうとするシンジ。ミサトは、鞄を後ろ手にまわして奪われまいと防ぐ。
「この家から出ていくなんて絶対に許さない」
「どうしてですか、僕とミサトさんはもともと他人じゃないですか。他人同士が一つの家に住むなんて、変ですよ」
「それはシンジ君と、レイだって同じじゃないっ!」
 シンジは表情が変わった。むっと眉を寄せてミサトにつかみかかる。もう相手が美貌の女性とか、体に触れたらまずいとか、そういうことは頭にない。
「レイのことを言ったなっ!」
 押し倒されながらシンジの両腕をつかんで防ぐミサト。女性とはいえ、ミサトは徒手格闘訓練を受けているし、体格が違う。腕力で中学生のシンジには、まだ負けない。だが、烈火のごとく怒るシンジの勢いに圧されて負け気味だった。
「なによ、本当のことでしょうがっ!」
「レイとはっ、小さい頃からっ、一緒だったんだっ!」
 ミサトの髪を引っ張るシンジ。ミサトは、シンジの腹を押し蹴った。シンジは部屋の奥へとはじき飛ばされた。
「でも、あんたたち他人じゃないっ!血が繋がってないじゃないっ!」
 逆にシンジにつかみかかるミサト。
「レイは家族だからっ!」
「わたしとだって家族だったじゃないっ!家族だって言ったじゃないっ!」
 シンジの顔に、ポタポタッと落ちる水滴。
 ミサトが、泣いていた。
「………」
 シンジの襟首をつかんで引き寄せるミサト。
「わたしだって、怖いのよっ。嫌な命令だって、出したくないのよっ。どうしてシンジ君なの?どうしてレイなのよっ?どうしてアスカなのよっ!パイロットが、にくったらしいガキだったら、どれだけ良かったか…どうしてよ、なんでよ…なんでみんないい子なのよぉぉぉ」
 ミサトはシンジにシャツに顔を押しつけて泣いた。
 シンジのシャツがどんどん濡れていく。だが、シンジはそれを不快とは思わなかった。
 
 
25
 
 とにかく、ミサトはシンジに荷物を持ち出すことは許さなかった。
 シンジも、無理に荷物を持ち出すことは諦めた。また、そうする必要を強く感じなくなっていた。ただ、自分の気持ちをもう一度見直したいの確かで、手ぶらのままレイのところへ帰ることにした。
 するとミサトが送ってくれると言う。
「…本部に戻る用もあるし…グスッ」と鼻水をすすりながら、真っ赤に腫らした眼で微笑まれると、シンジには断れなかった。
 幹線道路のわりには、交通量が少ない。
 しかし、ミサトのルノーは、いつもに比べて安全運転だった。シンジと一緒にいる時間を少しでも延ばしたいというミサトの心が現れていたのかもしれない。
「わたしはね、復讐の為に戦ってるの」
 前置きなしに語るミサトの言葉に、シンジはどう反応して良いかわからなかった。だから黙って聞くことにする。ミサトもシンジにリアクションを期待していないのか、前を見て運転を続けていた。
「あたしの父は使徒に殺されたの…」
 ミサトの語った。父と母の確執。離婚。そして南極で、父が死に瀕して自分を救ってくれたこと。そのために自分は父を憎んでいたのか、それとも愛していたのかがわからくなってしまったこと。そして今は、復讐心に駆り立てられるようにして戦っていると。
「最初…私にとってあなた達は、復讐の為の道具だったわ。ううん、今でもそう思おうとしている」
「思おうとしているんですか?」
「そうよ…そ…」
 言葉の途中で何か気分を害したかのように眉を寄せて口を噤むミサト。
「………?」
 シンジはミサトが、口に出さずに飲み込んだ言葉に思いを向けた。
 

 第10回を、お送りします。
 もっとド派手な喧嘩にしたかったんですが、二人の間に愛が芽ばえそうだったのでやめておきました。(笑)

Shinkyoの感想でございます

深い、深いですな。たくさん。

私にはここまで書けませんよ。

シンジとミサトがラブラブになっては私はかまわんです(爆)。


return back next