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 一枚の写真が、デスクの上におかれている。
 ドイツから送られてきた資料の中にあったものだ。
「セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー…………………………………アスカ」
 かつてシンジであった男にとって、その名は心をざわめかせる呪文のようなものだった。
 あの頃の生活は、好むと好まざるとに関わらず彼女によって彩られている。
 才色兼備、容姿端麗、明眸皓歯…街を闊歩すれば、人々の注目を集めずにはおかない暴力的な華やかさを全身で放ち、立ちふさがろうとする者は、圧倒的な気迫でなぎ倒す。
 その気性は、傲慢にして不遜。あたかも暴君のごとし。
 猫っかぶり故に、真実を知る者はごく少数に限られていたが、日常に接する者にとって彼女の存在は『剣呑』以外の何者でもない。ましてや起居を共にするとなれば、周囲の羨望とは裏腹に、不幸としか思えなかった。
 だが、もし彼女と知り合えなかったとしたら…。
 その生活は静かにして平和であったろう。そして、きっと面白みに欠ける毎日だったろうと思う。ミサトがいて、アスカがいて、ペンペンがいる毎日…『家族ごっこ』とはリツコの言葉だが、それでも振り返ってみれば楽しかったと思える日々だった。家庭と言うものを知らなかったシンジにとって、アスカの『あんたバカぁ』の罵声や、ミサトのからかいが飛び交う食卓にこそ、家庭における幸せの姿があった。
 だが、誰独り幸せになれないシナリオの中では、そんなささやかな幸せは、崩壊していくしかなかった。
 ミサトが微笑まなくなり、アスカの罵声がどこか悲鳴にも似てくると、食卓から暖かみが失われた。替わりに、空虚な静けさがただよっていた。少しでも暖かみを伝え合いたいと、歩み寄ろうとしても全身の針を逆立てたヤマアラシは、互いの針で、互いを傷つけあうしかない。
「あの時、もっと強い気持ちでいたら…」
 後悔とは、常にそのようなものだが『彼』にとっては、それが始まりであり全てである。意識のない彼女を汚し、赤い海の畔で、細い首に手をかけた。喉の気管が陥没する瞬間の手応えは未だに忘れられない。
『ゲンドウ』となった今、彼に出来ることはない。アスカと個人的な関わりを持つことはほとんどないからだ。アスカがライバル視して、つっかかるとすればそれは『シンジ』である。『シンジ』とは今や彼の息子のことであり、自分はネルフの司令なのである。
「冬月先生…」
「なんだね、碇?」
 常に傍らに付き従う冬月は、将棋盤から顔を上げて鷹揚に返事した。
「人に託して、信じるというのは難しいことです」
「なんだ、今になって気づいたのか?」
「はい。ですが、きっとすぐに忘れてしまうことでしょう」
「その事に、気づかない奴らのほうが多いんだ。気づくだけマシだよ」
 冬月は再び盤上の駒に気を向けた。
 ゲンドウは、祈るように気持ちで呟いた。
「たのんだぞ………シンジ」
 
 
 
 
 
               新世紀エヴァンゲリオン ファンフィクション小説
 
                       「運命の転輪」   たくさん作
 
                            −第17回−
 
 
 
 
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 ネルフ本部地下施設内にある技術部第6工房は、エヴァンゲリオンの装甲およびエントリープラグの製造を行っている。
 いま、新しいエントリープラグが、全ての製造工程を終えてロールアウトしようとしていた。
「オーライ、オーライ!」
 整備員の合図で、クレーンが下ろされる。
 それはカプセル…というよりは、鋼鉄で出来た巨大な試験管とでも言うべき形状の物体を、釣り下げていた。
 塗装されていない表面は、傷一つなく磨き上げられたかのように輝いている。
 ゴト。
 カプセルの一端が床に達するとプラグは、ゆっくりと横たわった。
 
 
「今回の改修部分はね、ここと、ここと、ここかな…」
 整備員と同じオレンジ色のツナギを着たシンジが、新しいエントリープラグについて洞木コダマの説明を受けていた。パネルがはずされ、普段は見ることの出来ない、電装品や機械部品が露わになっている。コダマは、ついでとばかりにテスターを差し込んで計器や電装品に異常がないことを確認した。
「ゴメンねぇ、改修説明は赤木博士か、伊吹二尉がするはずなのに、みんな出払ってて…」
「いいですよ。コダマさんなら気が楽です」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ。…ここ見て、生命維持系の電源は、希望通りにエヴァの内蔵電源からは独立させてあるわよ」
「どのくらい保ちます?」
「6時間は保証するわよ…節約すれば…うーん、8時間はいけるわね」
 パネルを閉じて、ビスを止める。
 コダマがプラグ表面にサインペンで、キュッキュッと点検済みサインを入れた。よく見ると他にも、製造に関わった技術者や整備員の署名が入っている。場所によっては『猫の手』マークが入っていた。これはE計画責任者 赤木リツコ博士のサインだ。
「通信とビーコンは?」
 シンジはプラクの内部に頭をつっこんだ。
 まだ、電源が入っていないので真っ暗であるが、すでにインテリアは入っている。
「連続使用で、それぞれ10時間……レイちゃんや、シンジ君が、プラグの中でじっと救助を待たないといけない状態って、あんまり想像できないけどね」
「僕もです。けど、死にたくないし、死なれたくないですから、用心と言うことで」
「ふーん、彼女想いなのね」
「彼女って…もしかして綾波のことですか?」
「うん。付き合ってるって聞いてるけど。婚約してるって噂もあるけどホント?」
 ゴンッ「あたっ!…」
 不躾な質問に驚いたシンジは、プラクのハッチに頭をぶつけた。いきなり何を言い出すのだろうかと振り返り、コダマの表情をまじまじと観察する。だが、不思議と下卑た好奇心やゴシップを探ろうとする、嫌らしさは感じられなかった。
「違いますよ」
「あら、そう?」
 シンジは「ええ」と、肩をすくめる。そしてからかわれた時のために用意してある常套句を並べた。「よく間違われます。これまで綾波とは兄妹同然に暮らしてきましたから、仲がいいのは認めますけどね」と。だが、自分で言いながらも、何か言葉が喉元でひっかかるような感覚があった。
「ふーん、そっか…それでかぁ。兄妹同然ねぇ」
 なにやら嬉しそうな表情を押し隠そうとしているコダマに、自分のプライベートの何がそんなに嬉しいのかと、シンジは問わずにいられなかった。
「何か?」
「え、や、ウチの妹が、ちょっとねぇ」
「妹さんって…委員長のことですか?」
 コダマは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに表情を輝かせた。
「ヒカリがねぇ、何かというと碇君、碇君、碇君、いかりく〜んってうるさくってねぇ」
 シンジをからかうような口調は、誰かを髣髴とさせる。それが某一尉のことであることは、すぐに気づいた。
 そっかぁ、誰かに似てると思ったら…コダマさんって、ミサトさんに似てるんだ。
「…姉の立場しては、妹の初恋は応援してあげたいけど、シンジ君とレイちゃんって無敵の恋人同士に見えてたから、諦めろって言おうかなって思ってたんだけど、シンジ君がレイちゃんを兄妹くらいにしか思ってないのなら、ウチの妹にもチャンスはあるわよねぇ」
 シンジは「え、まぁ…」と頬を掻きながら苦笑する。ポリポリ。
 内心、そっかぁ、委員長がボクをねえ…と、鼻の下を伸ばしているが、それは思春期の男子としては健康な反応と言えよう。
 
 
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 尾翼にUNのロゴの入ったF−18 ホーネットが風を切り裂きながら舞い降りて、空母オーバー・ザ・レインボウの飛行甲板に車輪を下ろした。
 フックに鋼鉄製のワイヤーが引っかかり、前へと行こうとする機体を強引に引き戻す。 ムッとするカタパルト射出用の蒸気とジェット燃料の刺激臭に、タイヤが焦げたゴム臭も加わると、その不快さに眉をひそめずにいられない。
 黄色いワンピースをまとった少女は、新鮮な空気を求めて舷側へと向かった。
 そこには、すでに先客がいた。
 常に余裕と、優しい物腰の態度を崩すことない男、加持リョウジである。
 男は、何を思うのか、水平線の彼方へと目を向けている。
 少女はこの男が時折、こんなふうに遠くへと視線を向けることを知っている。そしてそんな時は、決まって寂しい気持ちに囚われてしまう。
 自分が見ることの出来ない何かを、この男は見ている。
 そして男が、自分をかえりみることもなく、その何かへとむかって行ってしまうように思えるのだ。追いかけなければ、自分は独り取り残されてしまうだろう。だから、少女は男の腕を取った。
「か〜じ、さん」
「なんだ、アスカか…」
 男の瞳が自分へと向くのを確認すると、アスカは安心する。
「何を見ているの?」
「ん………海さ」
「ホント?」
「ああ。他に見るものもないしな。…水着の美女がいるなら別だがね」
 男臭い笑みを真っ向にして、アスカは複雑な心境を微笑みで隠さざるをえなかった。本心は、いつも冗談で隠してしまうのね、と心の底で呟きながら「言ってくれれば、水着に着替えてくるのに」と、切り返す。
「あら、水着の美女ならここにいるわよ」
 アスカと加持の耳に、闖入者の声は雷鳴のごとく響いた。
 思わずギクリと首をすくめてしまう二人。ゆっくりと振り返ると、そこにはオン歳、5×才…自称ハタチと381ヶ月の才媛。赤木ナオコ博士が、ワンピースの水着姿を見せびらかすようにして立っていた。
 年齢を疑わせる、その見事なプロポーションと肌の美しさは、当人に言わせれば『科学の勝利』である。かつて某幼女から「ばーさんは用済み」の言葉を賜ったナオコは、一念発起すると生命工学へと転向して長年の研究を重ね、ついに生命現象の一つ『加齢』の秘密を手にしたのである。その成果は自らの肉体をもって証明したのだが、実用化したせっかくの技術を公開しようとしないために、科学者仲間からは「アレは科学じゃねぇよ、きっと悪魔と契約を結んだに違いない」などと陰口をたたかれている。
「………あ、赤木博士」
「なぁに、リョウちゃん」
 ナオコを前にしては、百戦錬磨のリョウジと言えども若い男の子に成り下がってしまう。悪魔と契約を結んだという噂を、肯定するかのような妖しい色香に懸命に抵抗し、緊張のあまり背筋を伸ばして汗を流す姿は、蛇に睨まれたカエルだった。
「こ、このような男の巣窟で、そのような姿は目に毒とでも、申しましょうか…」
 アスカは「がんばれ加持さん」と心の中で応援していた。口に出して言わないのは、赤木博士の機嫌を損ねないようにするためで、それもこれも、不老の秘術を知りたいが為である。
「あらぁ…水着の美女が見たいって、言ってるように聞こえたのだけれど…わたしでは不足?」
「いえ、それはその、あの……」
 たじたじの、加持を救ったのはヘリコプターの爆音だった。
 ネルフのロゴがはいったヘリは空母の周辺を一度旋回してから、着艦コースに入る。
 助かったぁとあからさまにホッとする加持。
「来たわね…」とはナオコ。
 そして、アスカは敵に立ち向かうかのように、「ふんっ」と気合いを入れた。
 

 
 
運命の転輪 第17話をお届けします。
 
いかがでしょうか?
 
 
たくさん

Shinkyoの感想でございます

久しぶりの『運命の転輪』、首を長くしていた読者さんもさぞ多かったでしょう。

いよいよ、アスカの登場ですね。しかも、赤城ナオコまでいきている様子。

シンジとアスカのからみが楽しみです。

しかし、この作品の主人公は『ゲンドウ』ではないかと思う。今日この頃であります。

ゲンドウってば、いい人だし。


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